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メール・マガジン
「FNサービス 問題解決おたすけマン」
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★第011号 ’99−09−03★
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カタイ人
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●「問題は人間が起こす」
の観点にだけとらわれるつもりではなかったのですが、振り返るとどうやら、
人間の色々なタイプをテーマにして書き続けた形になっていました。それは
たいてい具合悪いタイプ、当然ですね。しかし今回は、真面目な人の話、、、
エ、真面目じゃ具合悪いのかな? うん、まあ、時には、ね。
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もちろん、真面目じゃダメ、と言うのではありません。けれどもこの半世紀、
我々日本人、みんな真面目にやって来たでしょう? それがバッシングの辺
からおかしくなり始め、やがてパッシング、ついにはナッシング。今や1億
何千万、総アンハッピー、、、。 どこか間違っているんだよな、きっと。
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●比較的上級の管理者
を対象にした思考技法の研修で講師を務めていたわけですが、よく感じさせ
られました。この人たち、真面目は良いが、いや、真面目だからではあろう
けれども、ちょっとカタイよなあ、、これでマネジできるかな、いや難しい
んじゃないか、、、。 マジメだけじゃ通用しにくい時代、とも言うし、、。
*
製造現場出身ということで、私には主に製造系の顧客が割り当てられました
から、カタイ人たちに出会う確率がより高かったとも言えるのですが、、。
* *
何がカタイ? えー、思いつくままですが、表情がカタイ、笑いが少ない。
ディスカッションでは特に細かなところで熱中。ヒントを示して誘導を試み
ても容易に乗らない。「当面の結論」くらいでは引き下がらず、何やら既に
あるらしい、ご本人としての満足水準との違いにこだわる、、。
* * *
しかしながら、このタイプの人々が Made in Japan の品質を生み、ひいて
は「経済大国」日本を作り上げた、とも言えるのです。今や絶滅しつつある
種族、、、と思うと、懐かしいような、悲しいような、、。この国の一時期
を、その種の人材が盛大にしてくれたことは間違いないのですから。
しかしカタイと何が困る? マネジメントにならないこと。当時は目立たな
かったけれど、今のように変転きわまりない時代には、歴然たるネガティブ。
* * * *
人材判別法の一つとして、私は「手」を観たりもしますが、心がリジッドな
人は手も硬い。「ちょっと拝見」、お願いすると、「え? こうですか?」、
スンナリ伸びやかには出て来ない。 何か、ゴワゴワーとこわばって、、。
外観の次は構造。甲側を支えて指の反り具合を試す。うーん、こりゃ硬い!
皮膚、筋肉、骨、、硬い手をした人は、頭もカタイ、、、のだそうですよ。
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●ところで管理者とは?
たしか「問題解決を仕事とする人」でしたな。つまり柔軟に対処する人で
なくては、ね。その立場の人々に集まって頂いた研修なのに、カタイ人の
方が多数派、、。 その不一致、不整合が気になった、、、次第です。
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「カタイ」が「忠実さ」を意味する限りは歓迎すべき特性ですが、それでも
何に対して、どのように「忠実」であるかとなると別問題。しかもあいにく、
それが「こだわり」として表われると、周囲を困らせることにもなります。
一般に、トラブルを起こさないようにする段階では、(忠実さとしての)
カタさはむしろ歓迎すべき要素です。が、あいにくトラブルが起こって
しまったら、柔軟な対応でブレーク・スルーしなくてはなりません。
ところがカタイと、迷ってタイミングを逃したり、ためらってやり損なう。
声をかけても反応が宜しくない。まあ、無理も無い。もともとカタイのが
取り柄の人に、さあカタイの直そうよ! これ、急には通じなくて当然。
なぜ、カタイのか? なぜ、切り替わらないのか? 基本的にはその人の
本質だからです。が、それ以上、その職責を果たすようになるまでの間に
授かった教育や訓練や指導のせい、でもあるでしょう。 と言えば、
* *
多分、カタイ人たちは反論する。いや、勉強は色々したよ。入社してから
もOJTやらQCやら実際的なのを、、、 それそれ、それなんですワ。
それらの中に「マネジメント」の教育が含まれていなかったのがまずい。
そんなこと、断言しちゃって良いのか? 良いのです。エヘン。勉強家を
自称する私が「EM法」と出会うまでは知らなかったくらいに、「マネジ
メント」を教える手段は稀少なのです。 これが世に知られざる真実。
* * *
多くの皆さんが若い頃から学んだものは、大概「コントロール」技法なの
です。「管理」技法ではあっても、「マネジメント」技法ではありません。
その定義や区別は、長らく明確ではありませんでした。たとえば我が母校
早稲田大学第一理工学部工業経営学科(今はもう、そんな名称も消滅した
そうです。だから尚、愛惜の念を込める次第)の昭和30年代、看板には
Industrial Management Course という英文字を並べておりました。が、
教えてくれたのはコントロール技法ばかり。マネジメント技法というもの
が無い時代だったのです。 もう40年以上も前のこと、時効ですね。
* * * *
しかし今もって、2種類の「管理」の区別がつかない人は少なくないよう
です。今回と次回で、それを解説しましょう。 時には講義風で、ね。
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●日本語に翻訳すれば
どちらも「管理」と言えますが、コントロールするか、マネジメントする
(では文法的にオカシイが、暫くの間お許し願う)か、には大きな違いが
あります。 当然、そこで用いられる技法類も性格が違って来るのです。
まず、「コントロール」から。
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たとえば製造や販売といった組織的な業務は、ただ漫然と行なわれるもの
ではなく、何らかの計画や規準に基づいています。従ってそのような業務
を予定通り完遂するには、常に状況の推移を監視し正常を保つため、一連
の支援的活動を伴わせる必要があります。 それが「コントロール」。
目前の状況が当初の計画や規準に合致している、それが「良い状態」です。
担当業務のそのような状態を維持するタイプの「管理」、がコントロール。
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計画や規準から外れた、こりゃイカンとなったら、直ちに修正作業を実行。
有無を言わさずに引き戻し、枠にはめ込む。 いわば「統制的管理」です。
この種の管理を行なう際の着眼点は、一口に言って「特性値」。たいてい
は数値です。納期、販売目標額、製造原価など、算出されて定まる動かし
がたい数値もありますが、在庫数、品質特性、性能仕様など、測定によっ
て得られる数値には、上限・下限など、許容範囲が伴なうのが普通です。
どちらにしても「枠」と言うべきもので、これがまず、カタイ。
対象とするものの状況をこの枠に収め込む、あるいは収まった状態を維持
する活動、それら全てがコントロールです。 まことにガッチリ、カタイ。
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QC、即ち品質管理の「管理」はコントロール。その他、在庫管理、販売
管理、工程管理、財務管理など、身近で「管理」と言われるものは数値的
な把握を基本としています。 どれもコントロール系の「管理」なのです。
そこで容易に見当がつきますね、コントロールの対象は「もの」だという
こと。そして、その相当部分は機械化、自動化することが可能です。
何らかの信号に反応して補正機能が働く、という仕組みにしておくわけ。
情緒や思考を省いて、文字通り機械的反応で定常状態が維持できます。
たとえば私が人生前半で手がけていたサーモスタット。温度が上がれ
ば電流を切り、下がれば流す。それによって、温度を、ある幅の中に
収める機能部品です。 きわめて素朴なサイバネーション!
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●企業など組織体
の諸活動は普通、「こうすれば、こうなる」というパターンで出来上がっ
ています。 業務の定型化とか、定型作業を行なうとか言うように。
そこでの「管理」は当然コントロール。上手に管理すれば、高い「効率」
が得られる。 つまりコントロールの目的は、あくまでも「効率」にある。
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そこでコントロール技法は、ひたすら作業の定型化を促進するためのもの
になります。現場でそれらを駆使して、「こうすれば、良い結果が速く、
楽に得られる」という、効率の高い「仕事の型」を作り出すのです。
インダストリアル・エンジニアリング界先駆者の一人で動作研究の始祖、
フランク・ギルブレスが提唱した "One Best Way" 。それは、「この仕事
ならこうするのがベスト。これっきゃ無い」という究極のパターンです。
コントロールという「管理」は、まずそのようなパターンを作り上げ、次
にそれを守らせる諸々の活動です。
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そこで役立つのは技術的知識や技能、「こうなる」ためには「どうする」
か、です。学生時代の専攻科目、入社後の技術研修、技能研修etc. 管理
者になるまでの勉強は、どれも How to ものだったのではありませんか?
それで分かるように、コントロールは HOW 主体の管理なのです。
* * *
かのロバート・L・カッツ教授の3分類に従うならば、主にテクニカル・
スキル、および多少のヒューマン・スキルが支配する管理でもあります。
即ち、第一線レベルではコンセプチュアル・スキルは大して必要でない。
One Best Way をしっかり守ってくれ。 余計なこと考えちゃダメ!
* * * *
ついでに、個性も捨ててもらいたいな。 各人各様なんて認めませんよ。
出来映えがバラツイたら困るじゃないか、、、、
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こう見ると、行け行けドンドンの高度成長時代は、まさにコントロールの
百花繚乱でしたな。わが国の欠陥的画一的学校教育制度とも相まって出来
上がった世界無類の日本人の特性が、幸か不幸かピッタリ適合したのです。
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●またコントロール系の管理は、
現場的というか第一線的というか、ピラミッド組織の中程から下に対して
行なわれるものであることも分かりますね。その層が強固でないと、組織
体は維持できません。 基礎がカタイことは是非とも必要なのです。
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一つ具合の悪いことがありました。年功序列的昇進システムです。上位に
達するまで年月がかかる。その間ずっと、基礎的ガッチリ管理に明け暮れ
するわけ。 しかも伝統的企業の場合、その期間がきわめて長い、、。
キチンと管理せよ、管理は行き届いているか、と言われ続けているうちに、
「管理」とはそういうもの、カタイものというセンスが身に着いてしまう。
真面目な人ほどそのしつけを身に着け、さらにカタイ人になる、、、。
* *
ガッチリ考える人たちが組み上げた、ガッチリ・パターン。それで育った
人々の中から、理想的にカタイ、と認められた人が抜擢され、管理・監督
の役に就くのですから保証付き。 その人たちがEM法の受講者に、、。
どうも長い話になりましたが、冒頭の「カタイ人たち!」という、講師と
しての感触は、多分こんなところから来ていたのだろうと思います。
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●コントロールについて
論じよう、となれば、その環境での特定の業務の話ですから、集まるのは
いわゆる関係者、「同質」の人々でしょう。当然、議論の中身も運びも、
すでに出来上がっている枠組みを離れるものではあり得ないでしょう。
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「特性値」を目安に行なう管理、がコントロールですから、それに関わる
論議も、当然データ重視で行なわれるはず。データ抜きでのコントロール
など考えられません。 議論も出来ない、知恵も湧かない。
しかし一種の完璧主義者たちです。データさえあれば、いや、もっと情報
が欲しい、と思う。で、「調査しましょう」、「検討しましょう」となる。
が、それでは解決にならない、、で、宜しいか? イイエ、ウーン困った。
* *
どうするか? データや情報の不十分を思考力で補うのです。言い換える
と「考え方」で補う、、、では、どう考えるか? 具体的には、、、
それが「マネジメント」思考というものです。つまり「硬くない管理者」
の頭の働かせ方です。それは次回に。
■竹島元一■
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